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2007年03月28日

只今、仕込みシーズン

歴史的暖冬で、驚くほど早く咲いてしまうのでは?と危惧されていた桜も、つい先ごろの冷え込みのせいか、結局は例年より少し早い程度におさまりそうな感じです。確か5、6年前に3月下旬の週末に満開になった年がありましたから、それに比べると小さなブレでしょうか。オゾン層の破壊など明らかに人間の活動が地球の環境を狂わせている部分はあります。今まで見られなかった現象を、人類の活動に関連付けて考察するのも必要でしょう。しかし反面「観測史上初」という物差しは地球の歴史からするとあまりに短いとも思えてなりません。日本での気象観測はたかだか100年ほど。それ以前に近年案じられるような極端な暑さや寒さが無かったものなのかは、わかりませんからね。

さて、今はいろんなアイテムの原料を調達する時期になります。特にアミエビの新モノを買い付けるシーズンの真っ只中です。その漁獲地である三陸方面の業者さんと頻繁に連絡をとりあって状況の確認をしています。さすがに今年は獲れ方にむらがあるようです。関西でもイカナゴが不漁と言われてるように、今年は「例年どおりに」獲れるものは少ないことでしょう。釣り自体が自然相手の遊びなら、その前段階であるエサの確保もほとんどが天然物。各アイテムを調達するのにハラハラドキドキのシーズンになりそうです。去年は秋が好天続きで波止釣り関連のエサ、特にアミエビの需要が増大しました。今年のキープ量をいかにすべきか悩む今日この頃。

写真はアミエビブロックの試験包材。使いやすい包装形態を日々思案でございます。

2007年03月14日

身の回りの金属をチェック


金属泥棒のニュース報道はもうそろそろやめて頂きたいです。
まねをする連中が増えるだけだと思うからです。 小遣い稼ぎか、生活費に窮してか、はたまた単なるゲーム感覚で盗むのか知らないが、日本の国のなかにも卑しい輩が増えたものです。 とは言え、自分も子供の頃、サイダーや酒の空き瓶を拾い集めて酒屋などに持って行き、なにがしかの小銭をもらってよろこんだ記憶がありますが、それでもその時は、子供なりにも何かちょっと後ろめたい気持ちになったものです。教わらずとも、そうして得たお金は真っ当なものではないという感覚があったような気がします。今より物資面での生活レベルがずっと低かった40年前でさえ、そんな破廉恥なことをする者はいなかったと思います。 まあ仮にそんなことがあったとしても、マスコミが報じなかったから模倣氾が出なかったのかも知れませんが。
 
他の天然資源と比べてもリサイクルによる鉄の再利用度は高いと思うので、世の中の建築物や鉄製品に用いられる古鉄や屑鉄の量は、鉄泥棒が横行することからみても、ばかにできないものなのでしょう。
それにしても文明の象徴でもある鉄はいったいどれくらい有るものなのでしょうかねえ?地球上のあらゆる資源の埋蔵量には限りがあると決まっているのですから、いつの時代も皆がその恩恵に与かることの出来るよう、感謝しながら大切に使い回していきたいものです。何でも独り占めはいけませんよね。
どこかの国のようにそれらの天然資源でもって世の中を支配しようなんてのは、そのうち神様のバチが当たるかも知れませんからほどほどにしましょうね。

※釣り針は金属から生まれた芸術品ですな。

2007年03月05日

胸騒ぎ


とうとう冬の厳しさに晒されないまま春になってしまったようです。暖冬そのものは地球自体に必要な調整機能のひとつだと思うので、それはそれで仕方のない事だと考えていますが、私がちょっと気にかかっているのは、この記録的暖冬が1946年(昭和21年)以来61年ぶりとの事なのです。
昭和21年といえば紀伊半島、四国南部の沿岸部に甚大な津波被害をもたらした南海道地震の起きた年なのです。暖冬つながりというだけで今年あたり大地震が発生するのでは?と素人予想するのはすこし愚かさも自覚しますが、専門家の予測でも周期的に観ていつ起きてもおかしくないとのことですから、不安を抱く人も多いのではないでしょうか。

まあ、地球をひとつの大きな生命体としてみれば周期的に起きる地震や台風の発生も、地球自体のゆがみのたまった部分を矯正するための自己震動だったり、汚れた表面を洗浄するための浄化作用なんだろうと、のんきな私は肯定的にとらえているのですが。 でもそれは今まで我が身がそれらによる洗礼を受けてないからこそ、そんなことが言えるということも分かっているつもりです。人間一生のうちに戦争や大天災に一度も巡り会うことなく過ごせるのは本当に幸福なことではないでしょうか。しかしその大きな幸せに気がつかない人類は、まるで地球を自分達だけの生活スペースのようにとり違えたまま、我が物顔で己の欲望達成に向けて突き進んでいるかのようです。

そしてもう大自然という神様から発せられる様々な警告サインを見逃したまま、許容範囲をこえて皆が営みの出来るギリギリのところまで来てしまったように感じるのです。 それでも心優しい地球は懸命に自己調整を重ねながら、我々人類を生かそう生かそうと色々な気づきのチャンスを与えながらまだ見守ってくれているのだと思います。でもそれに気が付かないままコースアウトを繰り返してばかりいると、いつかそのうちリセットボタンを押されて初期化されてしまうかも知れませんが?。