黄昏の浜辺で
釣り竿を握り沖を見つめたまま、おいやん(紀州方言でおじさんの意)はつぶやきました。
「ほんまに魚おらんようになったなあ・・。」
「三十年前やったら、この浜で地引き網したら魚の重みで網破れるくらい(魚が)入ってんけどなあ。」
「今はこの浜でも網引く漁師ちゅうたら、よったり(四人)しかおらんでえ。」
「毎年、ちょっとずつ浜も減って(面積が減少して)いくしなあ。」
「反対に川は浅うなるばっかりやし。」
「ほいでなあ、ここらの磯も草(海草)生えんようになったわ。」
「ほら魚も棲めんわなあ。」
そんなおいやんの話に耳を傾けながら沖のウキに目を移すと、海面には小さなイワシが群れて跳ねるのが見えます。 ハマチに追われてこの海岸に逃げ込んでいるとのことでした。 十日位前までは浜からハマチが釣れていたそうです。でもここ数日はダメとのこと。
話を聞かせてもらったオジサンは地元の方で、よくこの浜で釣りをされているそうな。となりに座って相づちを打つ私に、この浜の移り変わりの様子を語ってくれました。 私もこの浜の景色とのどかな佇まいが大好きで、近くまで来た時には必ず立ち寄る処です。
確かにおいやんの言うとおり、形のいい小石でおおわれたこの浜の姿が、訪れる度に少しずつ変わっているのは私にも解ります。最近、地球温暖化に警鐘を打つ内容の本「ガイヤの復讐」(ジェームズ・ラブロック著 中央公論新社刊)を読み終えたばかりなので、余計にそんなおいやんのつぶやきのひとつひとつが、重くのしかかってくるようです。(私は偉い人の理論に感化されやすいところがある)
獲物あっての猟、魚あっての漁や釣り、いやいやそれ以前に地球あっての我々生き物やからなあ。
地球の調節機能も限界か?とつりえさ屋の私もつぶやくのでした。
※写真の場所は白浜町富田(とんだ)の浜。おいやんの使っていた釣り餌はアミエビをコマセに、ボイルオキアミを付け餌に。