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2006年09月28日

キ・リ・ン

「この絵(キリンビールのラベル)のなかに、ちっちゃい字でキリンて書いたあるんやけど、どこかわかるか?」
小学二年生の私に父が問いかけました。場所は大阪から紀伊田辺に向かう汽車の中。ある用事で父と京都に出かけた帰り道でのこと。列車の中で退屈し、時をもてあます私に、他にかける言葉も無かったのだろう。 でも、けっして明るいとはいえない夜の車内で、八歳の私は夢中になってそのビールのラベルに目を凝らし、「キ」と「ン」の二文字を見つけました。ただのこりの「り」の文字はよく似たようなのが二つあって、どっちが正解なのか分かりませんでした。

晩酌で開けたキリン缶をぼんやり眺めているうちに、先の思い出が湧きあがってきました。老眼鏡に世話になっている今となっては、もちろん裸眼で視るのは無理なので、虫眼鏡まで持ち出してきて、ひととき童心に帰って目を細める私。また「キ」と「ン」はすぐに確認できたのですが、やはり「リ」はたぶんこれがそうだろうと見当はつくものの、もう一方の「リ」に惑わされて、どっちが正解なのか判らずじまいです。「お父ちゃん、やっぱりわからんわ。」四十年前の車中に戻って、今は亡き父に答える私。
時間の速度は年々増すようになり、「九月もあっという間やったなあ。」とつぶやく夜なのでした。

※写真はご存知、キリンラガー缶。僕は昔の熱処理したほうの味が好きだな。

2006年09月25日

秋はバタバタです。

秋のお彼岸を迎えた頃から気候も秋らしくなり、それに歩調を合わすかの様に釣り餌の出荷量も上向いてきました。ということで、私も身辺俄に慌ただしくなり、この浜市ニュース欄の更新も間隔が開きつつあります。かといって、いつまでも彼岸花の写真を出して置くわけにもまいりませんので、今回はとりあえず柿の写真に取り替えておきます。一歩、一歩深まり行く秋の風情をどうぞお楽しみください。
今しばらくは、木目の粗い内容になりそうですが、どうかお許し下さいませ。

※写真は拙宅近くで写したもの。撮影翌日にカラスに喰われてしまいました。

2006年09月15日

曼珠沙華

その登場の仕方には、毎年、毎年感心するのですが、ちょうど今時分、まだ残暑でぼんやりした頭を、ハッと我に返らせてくれる様に姿を現す曼珠沙華。ご存知、彼岸花のことですが、私の記憶に誤りが無ければ秋のお彼岸の数日前には、まるで時を計ったかのように可憐で繊細な赤い花弁を田や畑の緑のなかに現し、目を楽しませてくれます。 
この花は花が終わってから葉が出てくるので、その点でも興味深いのですが、その世間での扱われ方というか、とらえられ方は一様ではなく、たとえば先に私などはそれを楽しむなどと書いたものの、人によっては「死人花(しびとばな)」などと呼んで忌み嫌う、誠に不憫な花でもあります。 たまたま仏事である彼岸の頃に花開くために、死者を連想させるような暗い印象を植え付けられたのでしょう。この花には何の罪も悪気もないのに・・。
いや悪気がないどころか、この花は遠い昔、飢饉などで食物が底をついた時のための最後の食料として、半ば人の手によって身近な場所に植えられた歴史があるのです。ちなみに日本にある彼岸花は雌株(めかぶ)ばかりで雄株(おかぶ)のほうは日本の酸性土壌に適応しなかったと、前に本で読んだことがあります。 私も子供の頃、彼岸花には毒が有るから触るなと教わりました。確かにこの花の球根にはアルカロイド性の毒が含まれているのですが、それを水で晒すことによって無毒化させデンプン質を食すことができるそうです。だからわざと不吉なイメージを与えて、非常時の食料として温存しておく為に、普段安易に人が手を出さないように仕向たのでしょう。 ここにも日本の先人達のすばらしい智恵を感じ取ることが出来ます。
尚、ついでというか、突然話は変わりますが、私ども釣り餌屋もこの花を見るころから、仕事に活気が出てまいります。 以上、おわり。

※写真の彼岸花は9月14日に撮影。じつにやさしい佇まいです。


2006年09月11日

ヨ~イ・・ドン

運動会のシーズンがやって来ました。
ところでおととい(9月9日)の新聞に出てたことに、滋賀県内のある中学校の運動会中に、三十人余りの生徒さん達が、いわゆる「過呼吸症候群」の症状を訴え、二十五人が病院に搬送されたそうな。事に至った原因は、リレー競技に熱中し過ぎたとか、その成果に感動した為だとかで、私にしてみれば、首を傾げざるを得ない理由が書かれていました。
「過呼吸症候群」なるものが、ごく一般に知られるようになったのも、まだ五、六年位前からの事のように記憶します。ただ、テレビの健康番組なんかで取りざたされるや、なんだか急にあちこちで罹患する人が増えたような気がします。それも特に若い人達が・・。
そのようなことから、私が素人なりに考えますと、やはり今の若者達には、普段からの運動不足や感動不足、そして体内の酸素量の不足が慢性化しているのでは?と思うのです。だから急に激しい運動をしたり、はしゃいだりして興奮した際、身体の酸素要求量に応じて呼吸数が増えると、いつもにない血液中の酸素濃度に反応して、よけい身体(特に自律神経)のバランスがくずれてしまうのではないのかと、想像するのです。
だって昔は、こんなことってあまり聞かなかったでしょう。身を震わすような感動に息乱れることはあっても、ハアハア喘ぎながら倒れたりする小中学生は、そうそういなかったと思うんですが。
もちろん、全部がそうだとは言いませんが、今の子供達は自分の五感をフルに使って遊ばない(遊べない)からだと思います。子等よ、出来る限りでいいから外に出て、汗をかきかき遊びなよ。

※写真は地元みなべ中学校の体育祭のひとコマ。9月10日撮影


2006年09月05日

大きくなれよ、海の幸

毎年四月の中頃、日本各地の清流で、鮎釣りシーズンに備えての稚鮎を放流する場面が、新聞、テレビで報道されます。ローカルな話題ではありますが、一般の人達にもすっかりおなじみの光景かと思います。しかし、このように恒例の行事として続けられてはいるものの、大衆にはあまり知られていないのが、海釣りの対象魚の稚魚放流です。
海の中の事は未だ解明されていない部分が、まだまだたくさんあって、断言は出来ませんが、漁業資源としてみた場合、魚の数はどうやら確実に減っているようです。そんな状況の中で、釣り業界の各団体としては、少しでも長く釣りを楽しめる環境を、永く後世につなげていくために、規模の大小にかかわらず、このような放流事業というかたちで、地道な努力を重ねているのです。

まあ、追跡調査までは不可能なので、どれだけの数の魚たちが、大きく育ってくれるのかは不明ですが、せめて釣り人が釣り上げる何分の一かでも補いを続けなければ、そのうちに、釣り竿を曲げての魚とのやりとりも、昔話になることだってあり得るんじゃないかという思いで、未来の大物達に願いを込めて、海に放しているのです。実は、稚魚放流の事業資金は関連企業や一般の釣り人の皆さんからの寄付で賄われています。その貴重なお金で稚魚を購入して、ボランティアの人達のご協力で成り立っていることを、感謝の気持ちを込めて、ご紹介させていただきました。

※写真は日本釣振興会和歌山県支部によるチヌの放流の様子。

2006年09月01日

釣り餌、色々・・オキアミ、色々・・

色についての話です。とは言っても「色即是空、空即是色・・・」などの高尚な話ではなく、艶っぽい話でもありません。単にカラーのことです。それも今回はオキアミの色に限定します。
さて、釣り餌に用いられるオキアミには大きく分けて赤みの強い赤手とよばれるものと、ごく淡いピンクで全体的に白っぽく見える白手との二手があります。商業的に見る場合、すぐにどっちがいいの?(ごちらの方が価値が高いの?)となるのですが、今の釣り餌市場では白手に軍配をあげています。
ただ赤いか白いかの判定基準や、その境目に明確なものがある訳ではなく、あくまでも、今までの経験に基づいた視覚を頼りに分類しているにすぎません。
赤手、白手それぞれの特徴としては、赤手のオキアミは型が大きいものが多く、皮と身の間に若干すきまがあり、触った感じは白手に比べてやや柔らかい印象を受けます。一方、白手の方は肉質に適度な締まりがあり、加工もしやすく、シルエットも美しいので多くの釣り人に人気があります。
ただ以上に述べた事は、所詮釣り餌業界での人気投票みたいなものであって、絶対的な価値を決めるものではありません。 

もう15年程前のこと、得意先の漁師さんから「海の中の魚の方からエサ(オキアミ)見たら、赤手の方がよう見えてるような気がするんや」と聞かされ、その理由を尋ねると、同じ場所で船を並べて釣りをすると、白手をエサにする船より赤手のオキアミを使う船の方が、断然釣果が良いと言うではありませんか。その頃は半信半疑でしたが、その漁師さんの仲間からは皆、赤手のオキアミの注文を頂くようになったので、しだいに私も、それらの事象を信じるようになったのです。 この色の話についてはもう少し続きがありますが、また別の機会にとりあげてみたいと思います。


※写真は紅白に並べた南極オキアミ。上が赤手。下は白手。どちらもよく釣れます。